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小林 稔(こばやし みのる、1976年5月14日 - )は、神奈川県綾瀬市綾西出身〔のサッカー指導者、元プロサッカー選手。現在はジュビロ磐田のコーチ。現役時代のポジションはディフェンダー(主に右サイドバック〔)。 ==来歴== 小学校2年生の時に兄の影響でサッカーを始める〔〔。1995年に国士舘大学へ進学し、サッカー部に所属。同期には熱田眞、金沢浄、鏑木享、齋藤誠一、富永英明らがおり、在部中の4年間に関東大学リーグ1部で3度、インカレで2度の優勝を達成〔。個人としても日本大学選抜選出などの実績を残した。 しかし、1999年春の大学卒業時にプロからの内定を得ることが出来ず〔、Jリーグ・FC東京の練習に練習生として参加し、6月に半年間の契約にこぎつけた〔。その後は怪我に苦しみなかなかトップでの出場機会を得る事が出来なかったが、2001年シーズン終盤になり、内藤就行の退団や伊藤哲也の負傷といったDF陣の離脱が重なったこともあって、大熊清監督によって右SBに配されるようになった。翌2002年から新たに監督に就任した原博実も開幕スタメンの右SBに小林を起用し〔2002Jリーグ ディビジョン1 1stステージ 第1節第1日 Jリーグ (2002年3月2日)〕レギュラーに定着しつつあったが、同年に移籍加入していた加地亮がチーム環境に慣れるにつれ、小林に替わって〔選手出場記録 Jリーグ (2002年8月17日)〕右SBのポジションを掴んだため、小林は出場機会を失っていった。この年限りで戦力外となったものの〔 FC東京 (2002年12月2日)〕、クラブからはサブ暮らしの日が続いても基本を繰り返し大きな声を出して練習する姿勢〔を長らく評価されており、現役引退後もFC東京の下部組織にてジュニアユース年代の育成を担当した〔 FC東京〕。 2012年よりジュビロ磐田のコーチに就任〔プロサッカーチーム「ジュビロ磐田」のコーチ 小林 稔さん 綾瀬市綾西出身 35歳 タウンニュース (2012年5月11日)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小林稔 (サッカー選手)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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